筆写 ~ 王維『送別』より
横画の角度にバラつきが目立ち、
字形ももう少し美を引き出して
あげたいものもあるけれど、
自分なりに良き状態で書すことが
できた1枚。
自身に対して、丁寧に書すことを
課しているが、この『丁寧』を
貫き通して書けるかと言うと、
これはなかなか難しいものがある。
「丁寧に字を書く」
言葉では簡単に聞こえるが、
・ とにかく余計な力を抜くこと
・ 成功や失敗という念を抜くこと
・ 早く書き上げたいという念を抜くこと
例えばこういった、いわば精神的な面
に対して始終丁寧に取り組めたかどうか
ということで、その結果が仕上がりに
現れてくるものと考えている。
大げさに聞こえるかもしれないけれど、
字を書くという行為ひとつをとっても、
社会上の通念、あるいは社会の中における
自分の在り方みたいな概念によって、
気づかぬうちに自身を縛り付けている
ことは多いと思う。
そして
『丁寧さ』に真摯に向き合うことは、
その束縛や、なんとなく悪いと感じている
流れから自身を解放するための
良き方法のひとつだと考えている。
筆写文章
下馬飲君酒 問君何所之
君言不得意 歸臥南山陲
但去莫復問 白雲無盡時
王維『送別』より
ディスカッション
コメント一覧
力を抜く事=自然体である事
なのかな、と思います。
これが本当に難しい〜。
自然て意識しない状態、リラックスしている状態なのに、それが難しいなんて変だな(笑)って我ながら思います。
書写に限らず、気がつくと、ついつい力んでいる自分に気付く事があります。
今日は歯医者さんで力んだわ〜(笑)
自然体かぁ。。。
ヒトという生き物は、
順応や協調といった方面に
器用さを得てきたけど、
その分、自然体という方面には
不器用に育ってきた気がする。
だいたい何事においても
常に外界を意識してるよね(笑)
外界を意識するのはNGとか
そういう話では全くなくて、
外界を意識しすぎることで
自分が息苦しくなる生き方は
できれば避けていきたいなぁ、
と思う私なのです。
こんばんは!
力を抜く事、早く書き上げたいという雑念。精神的なモノでコントロールされたいのかな?と感じました。
確かに力が抜けた自然体な状態はベストかもしれません。
ですが、私達にはどうしても精神だけでなく肉体がついてきます。力を抜けない体調になってないか?早く書き上げたいと焦る集中力の切れやすい体調になってないか?
と、考えてしますのです。
私は、割と脳筋でアホほど練習をすれば筋肉が目が美しい文字に導いてくれる、と。
健康であれば尚の事ソレが線に溢れる。
先生のお話と割と正反対なアプローチで面白いなあと、読ませて頂きました。
でも、作品の中身は精神的なものが形になるとも思います。(ややこしくてすいません)
外界の刺激は仕様がないですよねー。私はマイナスの刺激が強い時は、練習をトレーシングペーパーの書き写しのみにしますよ。自分で書いて出来ないと落ち込むより、先生の字に近づく筋肉を今作ってる、と思うほうが自己肯定感上がりますよね。
いつも、ありがとうございます!
私も同じく
肉体と精神は一体のものとして
考えています(^^)
なので、
食事を美味しくいただくこと。
※「美味しいものを食べる」
ではなくて「美味しく食べる」ね。
しっかりと睡眠をとって
身体の回復と安定を得ること。
この二つは最も大切な要素だと
私はみなしています。
こういったベースがあってこそ
より丁寧に書写と向き合うことが
できるという感覚でいますね~(^^)