筆写 ~ 北村透谷『一夕観』より

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私にとって心の中の師匠でもある

狩田巻山先生の硬筆筆写には、

なんとも流麗な美しさを感じる。

その美しさは

おおらかな表現ということもあるが、

それ以上に魅力を感じさせるのは

その ” 線質 ” なのだ。

一本筋の通った、淀みのない線。

過去、私がペン字のレッスンを差し上げた

生徒さん方に対して

「今のその字で十分美しいのに」

と申し伝えたことが多くある。

私からすると、そのような方々が

ペン字の稽古を希望する理由が

よく分からないのだけれど、

「大人っぽい字が書きたい」と、

およそそのような目的で来られていた。

話を戻すと、私が感じていた美しさ、

そのような方々に共通していたのは、

上述の ” 線質 ” の良さなのだ。

私の字にはそれが欠けていたので、

その時の皆さんの字を羨ましいとさえ

思った。

ところが・・・だ。

字の練習や稽古を始めると、

元来あったはずのその線質の良さが

途端に失われてしまうことが多い。

手本字のように書けるかどうかと

成功や失敗という概念が入ったり、

それゆえに緊張して指が硬くなり、

一本筋の通った線から離れてしまう。

今の私としては、

その部分に焦点を当てた稽古の在り方を

お伝えできなかったことに

とても申し訳なく思う。

なにより私自身が、そういった観点で

自身の稽古に取り組めていなかったし、

線質を養うという感覚を分かっていなかった。

今なお、鍛錬の最中でもある。

人物に例えても、

一本筋の通った人というのは、

どこか気持ちよさを感じさせるものがある。

その個性に対する好みは

もちろん一様ではないが、

字についても同じことが言えるのでは

ないだろうか。

先ずは心ありき。

その心にのっとって指が動く。

その指の動きにのっとった線質が現れ、

それらの線質が字の表現を作る。

土壌や木の根を養うことで

はじめて大きく甘い果実が成るように、

ひとつの字を書き上げる以前の、

心構えや状態を丁寧に感じ取って

そういった部分を養っていく。

その結果として成る果実が

すなわち書き上がった字の表現や

美しさなのだと、今の私は考えている。

外見に現れる形(結果)は、

内に養ったものの単なる証拠に過ぎない。

自身への、生涯に渡る教訓でもある。

筆写文章

月は晩(おそ)くして未だ上るに及ばず。

仰いで蒼穹を観れば、

無数の星宿紛糾して我が頭にあり。

  北村透谷『一夕観(いっせきかん)』より