筆写 ~ 宮本百合子『津軽の虫の巣』より
何かの物事について練習をする
ということを考えますと、
まったくの0(ゼロ)の状態の時には、
それを上手くやろうという欲や、
そこから派生する希望や失望などとは
無縁な場合が多いものです。
そして練習を始めて少し経ち、
0(ゼロ) → 1(イチ) → ・・・
と過程を踏んでいくと、
上に書いたような欲や、
それに伴った感情が起こりがちです。
私の書写もそうですし、人の目に触れる
(或いは人前での)パフォーマンス全般
について、それは言えると思うのです。
そして私個人的には、そういった欲や
感情が、とても大きな妨げになりました。
(それは今も現在進行形ですが)
だからこそ、練習を重ねつつも
精神的には0(ゼロ)の状態でいられる
ような稽古を続けています。
だったら練習しなければ・・・
といったことにもなりますが、
”人間社会”に関わりながら生きて
行くためには、諸々の練習というのは
やはり役に立つものです。
ですので、
自身の感覚に神経を集中させつつ
ロボット的な練習を行う、というのが
私の中の理想的な姿です。
筆写文章
晴やかな青紫の円い小珠(こだま)は、
滑らかなその面を日に透(すか)すと、
渾然たる瑠璃(るり)色が、
さながら瞳の底、魂の奥へまで
流れ入る。
宮本百合子『津軽の虫の巣』より
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