運筆の練習

『運筆』:字を書く時の筆の運び方

とある。

私にとって字の練習は

いわば運筆の練習だ。

手本字を模写するが、
なんだか字の感じが違う・・・

それぞれの筆画の起筆の位置、

筆画の角度、長さ、湾曲の大きさ、

筆圧の具合・・・

こんなものが微妙に異なってきて

違和感が出てくる。

特に手本が大きめの字で

それをそのままの大きさで

模写しようとした際には、

その違和感はより出やすいものだ。

手本をよく見ていないと言われると

「いや、ちゃんと見てるし!」

と言いたくもなるものだ。

だいたい、

ちゃんと見てるとか見てないなんて

個人の感覚なのだから、

誰からどう言われようと

「ちゃんと見てる」と思うかぎりは

「ちゃんと見てる」のである。

『 ちゃんと見てるのに

  なんだか同じように書けない 』

この問題に対し、

自分自身を観察してきてなんとなく

気づいたことがある。

ペン先が(=指が)動いていない

40代を迎えた私の妹などは

垂直跳びをして数十センチ跳び上がって

いるつもりらしいが、彼女のつま先は

床から数センチしか浮いていない。

(滞空時間はきわめて短い)

このように頭の中のイメージと体の動きは

誰でもある程度の乖離があるものだ。

ペンで一本の線を書くこととて同じなのだ。

なかなか気づかないだけで

実はペン先(指)が動いていない

ということがある。

ペンの運び=指の動き

それが硬いのだ。

まるで大人のラジオ体操

はいっ!もっとしっかり体を曲げてっ!

もっと、と言われても

本人はいたって真面目に体操しているが、

体の動きが硬いから、いかんせん

やる気なさげな体操に見えてしまう。

まぁ、指に関しては、関節が固まって

しまっているわけではないから

少し違うかもしれないが、

ゆったり大きくペンを運ぶ指の動きに、

我々は思う以上に慣れていないらしい。

指が動いてないのだから、

当然、字が大きくなるほど

その様子は明確に現れてくる。

書写は大きめの字で練習するのが

良いとされるが、字の形やバランスを

確認しやすいというだけでなく、

それはイメージ通りに指を動かす練習と

言うこともできる。

それには、指の動きというものに

意識を集中して、手本字の線に忠実に

丁寧にペン先を運ぶ練習をしなければ

ならない。

私は、それを丁寧にやればやるほど、

指の動きがいかに不自由になっているかが

分かる。

イメージに沿った字を書きたい。

だからこそ、私にとって手本字の模写は

運筆への意識を第一とした練習なのだ。