変化する、見かた・感じ方・受け取り方
先日、BS放送で
映画『ネバーエンディングストーリー』が
放送されていた。
なつかし~っ!!
※このブログで取り上げている
『ネバーエンディングストーリー』は
1作目のもの。
テレビで最初にこの映画を見たのは
いつだったかな?
中学生の頃かな??
40半ばにして
お嫁さんと一緒に
超久しぶりに鑑賞。
そして気がついた…
昔の私は
この映画の言わんとすることを
全く分かっていなかった(笑)
そもそも物語の展開に関する記憶も、
実際とは全く違う形で頭ん中に書き換え
られていたが、物語の主旨に関しては、
昔の私には理解できるベースがなかった
のだろう。
記憶力も理解力もない でんぼく。
素敵なファンタジー世界の
冒険映画くらいに思っていた。
※主人公はなかなか辛い冒険をするので、
素敵という表現が適切かは分からないが。
あのテーマ曲がまた素敵なのだ。
ところが
40半ばになったでんぼくは
もはや中学生のでんぼくではない。
これは、「おっちゃんになった」
という外見的変化だけではない。
咀嚼 ⇒ 消化 ⇒ 吸収 ⇒ 代謝
という、まるで生体内における一連の
作用・反応を経るがごとくして、
そのストーリの趣旨を自身に取り入れ、
まさにファンタージェンへの切符を
手にした感覚になれた!といっても
過言ではないのだ。
※昔のでんぼくは、咀嚼で味わうのみ。
35年ほど前の映画につき
いまさらネタバレも何もなさそうだが、
ここは紳士的態度をもって、
物語の描写は伏せておこう。
しかし、映画の見かた、受け取り方は
昔の自分とはずいぶん変わったものである。
ところで最近読んだ本
『お探し物は図書室まで』
青山美智子さん著
その中で印象的だった一節を
取り上げたい。
「どんな本もそうだけど、
書物そのものに力があるというよりは、
あなたがそういう読み方をしたっていう、
そこに価値があるんだよ」
5人の主人公による5編の物語。
仕事や生き方に戸惑う主人公たちが、
とあるきっかけにより訪れる図書室。
そこには少し不思議な感じの司書。
その司書に、自分たちが求める本を
検索&紹介してもらう主人公たちだが、
司書が提示してくれる書籍リストの中には
一見自分には関係のなさそうな一冊が・・・
言葉にできずとも、主人公たちの心が
求めていたであろう何かしらへと、
一冊の本が導いてくれる、そんな物語。
映画であれ本であれ、
自分のその時の境遇により
見かた、感じ方、受け取り方は
大きく変わってくる。
映画や本の中から頑張って何かを
汲み取ろうというものではなくて、
その時々の自分が求めている ”何か” が、
自然な感じで自分の中に入ってくる。
そんな感じだろうか。
ネバーエンディングストーリーもまた、
昔のでんぼくでは受け取れなかったものを
今になって伝えてくれた。
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