筆写 ~ 森川義信『高館』より
旅(旅行)に関する広告やイメージは
とても開放的で楽しいものだけれど、
こうして詩に歌われる旅は、
哀愁漂う人生と重ね合わせた、
少し憂いを帯びた表現とされることが
多いような気がしている。
私が自然とそのような詩を選んでいる
だけだろうか・・・
だいぶ以前、
勤め先の上司に教えていただいた
若山牧水の『幾山河』は
旅の詩として大好きな一つだ。
書写の話に切りかえて。
自分なりの書の美を目指すのではあるが、
その書の美を求めるがゆえに
筆写にあたって成功や失敗の意識が
生じることの無いように、
というのが私の稽古の在り方だ。
目指すのではあるが、
その過程においては
目指す意識を持たないというのが
私の稽古。
それを頭で認識はできても、
自然と実行できるかと言えば、
私にとってこれはなかなか容易ではない。
このようなことすら考えずに、
自然とそれを為せる人もいるだろう。
生まれ持った性質や育った環境で
人はそれぞれ異なる。
己にとっての善き生き方に対し、
ブレない軸を定めて
日々その稽古を続ける。
環境や状況に惑わされることなく、
平安な心で己の寿命を生き抜く。
私にとっての稽古はそのためにある。
筆写文章
草深きなかに訪ねし
夢跡の寒きかなしさ
朽ち柵に倚(よ)れば仄(ほの)かに
胸にしむ旅のうれひよ
森川義信『高館(たかだて)』より
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