筆写 ~ ルイ・ベルトラン 上田敏訳『欝金草売』
私において、
「淡々と行う」ことは
大きな安らぎ、安心感を
もたらしてくれます。
「淡々と」なので、
ドラマ性は全くありませんが、
だからこその安らぎです。
書写の練習でいうならば、
・うまく書こうとする意気込み
・書いた字の出来栄えに対する
気分の浮き沈み
・常に上達や、上達に役立つ
ノウハウを求めてしまう心
・他の方の書写と比較して
動かされてしまう心
例えばこういった心の動きは
『淡々とした練習』とは
かけ離れたところにあり、
私にとってはとても、穏やかで
安らぎある書写ではありません。
今ならばそれを当然のことだと
考えることができますが、
私はとてもとても長い間、
そういった穏やかではない心の
持ちようで、書写と向き合って
きました。
なので、昔の自分の字を見ると、
なんと堅っ苦しい雰囲気の字を
書いていたかと笑えてきます。
心のあり様というのは、
それが必ず形となって現れる
のだろうと思います。
私は、
私が書いてみたいと思う字に
対して、そういう心のあり様に
なっていなかったと、数年前に
ようやく気づいたのです。
心のあり様を育てよ
書写が私に教えてくれたようです。
今も、まだこれからも、
その練習は続きます。
筆写文章
花のなかなる欝金草(うこんそう)は
鳥のなかなる孔雀(くじゃく)の如し。
かれに香(にほひ)無くこれに歌無し。
かれは其袍(そのうはぎ)を、
これは其尾(そのお)を矜(ほこ)る。
ルイ・ベルトラン 上田敏訳『欝金草売』より
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