虚心坦懐なれば心眼自ずから開く

『虚心坦懐なれば心眼自ずから開く』

先々週ですが、NHK BSチャンネルにて

江戸時代の絵師、伊藤若冲を主人公にした

ドラマ『ライジング若冲 天才 かく覚醒せり』

を見ていました。

冒頭の言葉は劇中で、若冲の師である

高遊外(売茶翁)が若冲に送った言葉として

出てきました。

『虚心坦懐』 『心眼』

それぞれの熟語の意味を調べたところ、

虚心坦懐とは、

先入観がなく、心にわだかまりもない状態。

平静に物事に臨む態度。

心眼とは、

物事の事実や真理を見抜く力。

『虚心坦懐なれば心眼自ずから開く』

お釈迦さんの教えとして

悟りを求めようとするほどに

悟りから遠ざかる

というのを聞いたことがあります。

高遊外が言ったこの言葉は

それに通ずるものがある気がしています。

この人はこれが良いと言う。

あの人はあれが良いと言う。

ある人はこれが正解だと言い、

ある人はこれは間違いだと言う・・・

結果を出すこと、それに対する焦り、

他人の様子、他人への嫉妬・・・

そんなことに心がとらわれている。

そして

あっちへふらふら、こっちへふらふら・・・

自分が心から求めるもの。

その道や答えを、他の誰かの中に探そうと

躍起になっている時には、すでに

虚心坦懐からは遠く離れているんだろうなと

自分を顧みながら思っていました。

若冲は、動物や植物から発せられる

魂、または生命の息吹き(劇中では

「神気」と言ってました)を自分の絵に

描きたく、何年もかけて社寺を巡り、

そこに収蔵される数々の崇高な絵画を

模写し続けることを試みていました。

だけど、模写の積み重ねでは、

自分の求めるものは決して書けないと

やがて悟ります。

それに気づいた若冲は、自分が描こう

とする対象をただただ眺めることに徹し、

散々見尽くした結果として、

やがては神気を見ることのできる

若冲なりの心眼を開いていきました。

理想的な書写

理想的な仕事や収入、生活の在り方・・・

私はそれらに対して求めるものが

あります。これまではずっと短絡的な

思考で、短絡的な答えや策を、

他人の中に求めてきました(笑)

その結果、少なくとも私は、いずれも

私が求めるものに達しえませんでした。

そして今はようやく、それではダメ

だったんだと思い至っています。

少なくとも書写は、それをしっかりと

私に教えてくれました。

今日もまた、自分の求めるものと自分の

内なる感覚に対し、できるだけ虚心坦懐に

丁寧に向き合い、時間を過ごしていこうと

思います。