心の栄養素
字の練習をしていて
なかなか思うように書けない。
こんなことは数えきれないほど。
そして時に卑屈になる(笑)
卑屈になって、美大出身のお嫁さんに聞く。
そもそも、美術の存在する意味って何なん?
いちおう大人なので、卑屈感を出さずに、
一つの論題を掲げるように切り出してみる(笑)
私が練習する字も美術的領域だ。
そんな美術的領域の字が思うように書けず
悶々とするあまり、字の練習やその他美術の
存在意義を疑ってみたくなる。
「美術が無くても別に人は飢えて死なないしぃ〜」
「字がきれいに書けなくても普通に生きてるしぃ〜」
とは、私の単なる卑屈だ。
しかし、冷静に考えてみても面白い。
美術や芸術がなぜ人に求められ、
古今東西に存在し続けるのか。
『心の栄養素だ』
と、お嫁さんは言った。
体が良い状態で機能するためには
栄養素が必要だ。
同じように、心が良い状態で機能する
ためにも栄養素が必要なのだろう。
大きく広い範囲で社会性を築いて
生きる人間は、様々なストレスに
囲まれている。
いや、もちろん、大自然の中で
自分の命をかけて生き抜く他の動物たち
にも、ストレスを感じる瞬間は多分にある
はずだ。
しかし人間は、特に反芻(はんすう)思考を
得意(?)とする動物なので、ストレスの原因が
一過性のものに終わらず、それを抱え続けて
しまいやすいのかもしれない。
そんなストレスで疲れ切った心には
栄養素の補給が必要なのだ。
疲れた身体と同じように。
心の栄養素
私たちの日常を見渡せば
そんな心の栄養素がいろんな形で
存在している。
自然が生み出したのもあれば、
いろんな所でいろんな人が作り出した
いろんな物。
私も、自分自身のためだけでなく
なんらかの形で世の中にとっての
心の栄養素となるものを生み出したい。
誰かが生み出したそれを
私の心が欲し、吸収してきたように。
冒頭の『悶々』についての考察
ちなみに、感情を制御するのは
脳の中の前頭前野という部分の働き
ということなのだが、その前頭前野は
ストレスが溜まることでダウンする。
前頭前野がダウンすると、感情を制御できず、
いわゆる感情的になりやすい状態となる。
『悶々』としているのも、
おそらくそんな状態のひとつだ。
それはストレスが溜まっている証拠だとも
いえそうだ。
2、3回書いてうまくいかない
うまくいかないから何十回も何時間も
書き続ける…
こうしてストレスの蓄積に気づかないまま、
体と心の良い状態は崩れていく。
それで質の良い練習はできるはずがない。
練習の仕方もバランスを考えなければ
『過ぎたるは及ばざるが如し』
である。
自己を省みて…
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