筆写 ~ 北原白秋『夢殿』より

この画像をクリックするとPDFファイルとして拡大表示します

私は、自分の行う稽古に対して

「何のための稽古なのか」ということを、

ちょいちょい自分に問い直し、

意識を深めるようにしています。

私にとって、自分の行う活動は

できるだけ

「 ”健やかに” 生きる 」

ためのものであるようにと、

その点を意識するようになりました。

私にとっての ”健やか” は、

”心が穏やかな状態” です。

病気にならないとか、長生きするという

こととは、必ずしもイコールでは

ありません。

心穏やかに日々を送る、ということを

第一とするよう意識しています。

なお、

心穏やか ⇆ イライラしている

ということではなく、

心が色んなふうに動揺しない、

ということです。

自身の性格的なものもありますが、

人間という動物として生まれてきた

ことが、心穏やかに生きることを

難しくしているような気もしています。 

だからこその稽古であり、

今の私の書写も、そこを目的としたものです。

昔の私とは大きく変わってきました(笑)

そうすると、仕事や家事など

他の活動も全て同じような感覚で

捉えてよいものだと分かってきました。

結局は、あらゆる活動において

通じているものがあるようで、

「これだけ、この時だけ」

というものではないような気が

しています。

筆写文章

山門(やまと)はもうまし耶馬台(やまと)、

いにしへの卑弥呼が国、

水清く、野の広らを、

稲豊(ゆた)に酒を醸(かも)して、

菜は多(さは)に油しぼり

  北原白秋『夢殿』より