筆写 ~ 太宰治『炎天汗談』より

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天稟(てんぴん):生まれつきの性質や才能

自分を振り返っても思うのですが、

大抵の場合、人は大人になると

修業(稽古)という概念を手放して

しまいます。

子供の頃、学生の頃は、それが

自分の意思とは関係なかったと

しても、修業(稽古)に入っている

ことが多いものです。

しかし、自分の意思に頼って

生きていこうとする大人こそ、

修業(稽古)の必要性と、それに

取り組む意義が出てくるように

思います。

別に、具体的に何を習うとか、

そういうことである必要はなく、

日々取り組む活動に対して

修業(稽古)的な概念を持つだけで、

自身や物事の在り方、見え方は

随分変わってくるものだと

思っています。

そしてそれは、頑張ったり、

時間的目標を掲げたりする必要

はなくて、生きている”今”の

時間を豊かにするためのもの

だと考えています。

筆写文章

修業という事は、天才に到る

方法ではなくて、若い頃の

天稟のものを、いつまでも

持ち堪える為にこそ、必要

なのです。

  太宰治『炎天汗談』より